小社のウェブサイトを見て下さったかつての学生さんから、思いがけぬお便りをいただきました。
原が大病をする前の、まだ若く意気盛んだった頃、フランス語クラスを担当していた時の学生さんです。以下、ご本人の了解を得て、一部をご紹介します。
学校に馴染んでいない私を昼休みに外のベンチに連れ、話を聞いてくださった事を今でも思い出します。
あの時話を聞いてくれる人がいなかったらおそらく大学を中退していたでしょう。その後2年、3年の時に原先生の「表象メディア論」を受講しました。
私にとっては大学教員というより良き兄貴分の様な雰囲気であった事を思い出します。他の学生達にとってもそうであったことでしょう。
人一倍厳しい面もありつつ、悩んでいる人を見るとほうっておけないところがありました。いかにも彼らしいなぁと、相談に乗っている様子を思い浮かべ、温かい涙がこぼれました。そんな夫を、いつまでも誇りに思っております。
こうしてわざわざメールを下さったこと、お心遣いに感激しています。プリントして、お供えしました。
目下、来年2月の刊行を目指し、小さな一冊を編んでいます。動物を愛する、生命を愛するすべての方に贈るエッセイです。
当面は原宏之の仕事をまとめてゆくことになりそうですが、お見守り下されば幸いです。
こんにちは
三時間前に初めて原先生が亡くなった事を友人伝えで知りました。私は明学に2001年に入学し、フランス文学を学びました。その時にフランス語の授業でたまたまあったのが原先生です。
大学に入ったのもたまたまでフランス語を勉強する動機もさしてなかったのですが、何の流れか分からないのですが、音楽の話になり原先生にCDを貸してもらったりして、フランス語と私を結びつけてくれたのが先生でした。私が大学に通う理由を作ってくれたと思います。当時、音楽について考える際にロランバルトを勉強してみようなんて思ってしまった事もあり、先生の授業はとても楽しかったです。その後、大学院に進んだのも先生とのお付き合いは無関係ではないと思います。
故人になり、先生に感謝の気持が伝えられないのが悔しく、お忙しい中失礼ですがメールをしました。
心のこもったコメントをありがとうございます。
2000年を過ぎて間もなくは、原も教員となったばかりで、希望に燃えていた頃とほんとうに懐かしく、親身なその姿をお心に留めて下さっていることをとても嬉しく思います。
心に想うだけでなく、田中さんこそお忙しい中わざわざ言葉にして下さって、そんな真心を原は感激して受け取っていることでしょう。
ピンバック: 飯田朔『「おりる」思想』 そして嬉しいお便り – 書肆水月 Éditions Suïgètsu